C-5 Galaxy

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オハイオ州ライト・パターソン空軍基地に本拠地を置く445th AWのC-5Aである。この部隊は、予備役の輸送航空団で ノートン空軍基地に長らく居てC-141を使っていた。その後1994年3月にマーチ空軍基地に移動しC-130Eも併用していたが 1994年10月 ライト・パターソンに移転した。1950年代までは、P-51やF-80、F-84等を配備した戦闘機部隊であったが 1957年以降 郵送部隊に転換して現在に至る。 
↑ 上2枚は、2012年と2014年の横田航空祭でエプロンに駐機していた同隊のC-5A/70-0451

↑2013年10月嘉手納基地に飛来した第433輸送航空団(433rd AW)のC-5A/69-0016。

2010年8月12日 嘉手納

↑ 2009年3月嘉手納基地に駐機するC-5A。赤い帯だったので、当初ウェストオーバーのC-5Aかと思っていたが、文字が長い!・・・慌てて撮影位置を変え、この珍しい部隊の証拠写真を撮っておこうと言う事にした。

2009年3月8日 嘉手納

↑ 私としては最初で最後となった445th AWのC-5Aとの出会いは、2009年3月に嘉手納基地に飛来したこの機体である。445th AWは2005年に10機のC-5Aを受領したが、たった7年しか運用しなかった。2010年3月にC-17Aに更新すると発表し、2011年よりc-17Aに機種変更している。

尾翼には、所属基地名であるオハイオ州ライト・パターソン空軍基地”Wright-Patterson”が、白い帯に赤文字で入っている。この基地には、445th AWがC-141Bスターリフターを受領して直ぐに移動してきている。映画「ライトスタッフ」を見た方は直ぐに思い出されるかもしれないが、ライト・パターソン空軍基地は、月に人類を送るマーキューリー計画において、宇宙飛行士を訓練した基地で、当時は空軍の技術開発の拠点であった。

C-5Aが生まれてすでに半世紀になろうとしているが、同規模の輸送機の後継は計画にもない。M-1戦車2両を積めるこれだけの大型の輸送機を再び一から設計し生産するには膨大なコストが掛かるし、何せ初期設計から半世紀過ぎても,C-5はまだまだ他に比肩できる機体が見当たらないほど優秀な輸送機である。その為,C-5の後継機はC-5で賄うこととしてC-5Mスーパーギャラクシーへの改造計画が順調に進んできた。機体を動かす頭脳と神経を丸ごと入れ替え 現代の時代に合った身体に作り直すわけで機体を大きくするわけではない。C-17も優秀な輸送機であるが C-5は、強大な米軍の足として,これからさらに数十年使い続ける事になるだろう。

第164輸送航空団もテネシー州の州空軍部隊である。1961年に生まれた若い部隊で、暫くは、航空団ではなく輸送航空グループと言う部隊組織で運用されていたが1995年に航空団に昇格している。1992年にC-130からC-141Bスターリフターに更新し、湾岸戦争で部分的な動員を行ったとされる。C-141Bの他C-141Cも運用していたらしく、最後にC型を運用した航空団として記録されている。C-5Aを受領したのは2004年である。C-5Aを2013年まで約10年運用して、2013年からC-17Aに更新している。

尾翼には、赤い帯にシェファード・フィールド州空軍基地のあるウェストバージニア州の町 マーティンスバーグ市の”MARTINSBURG”の文字が記入されている。これは独立戦争時代の人物トーマス・ブライヤン・マーティンスから取ったもので市名らしいが、独立戦争から南北戦争までの間、いろいろな出来事が起きた古い町だそうである。

アメリカの東海岸ウェストバージニア州の州空軍部隊である第167輸送航空団(167th AW)は、1972年に生まれた若い輸送航空団で、当初は、C-130Aを配備されてスタートを切っている。確か私も以前嘉手納基地で”WV”のテールレターを付けたC-130を撮った記憶があるが、機体は、ヨーロピアン-1塗装であったと記憶している。1984年に100,000万時間の無事故飛行を達成した5番目の空団として記録され、1988年に空軍優秀部隊章を受領するなど優れた航空団として評価された。C-5Aを受領したのは、2006年からで10機が配備されていた。2014年まで8年間C-5Aを運用した後、2015年からはC-17Aに機種変更している。

アラモ砦で有名なテキサス州サンアントニオに駐屯している空軍予備役部隊の輸送航空団。それ故”アラモ・ウィング”とも呼ばれる。C-5Mスーパーギャラクシーを受領した最初の予備役部隊でもあるらしい。部隊が創設されたのは、トルーマン大統領の時代1949年である。当初双発輸送機C-46コマンドを装備して、朝鮮戦争にも動員されている。1971年からC-130を運用していたが、1985年に予備役部隊で初めて超大型の輸送機C-5Aに更新している。C-5Aを30年近く運用して、C-5Mスーパーギャクラクシーに機種更新した珍しい予備役部隊である。

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↑ 2010年8月嘉手納に飛来した第164輸送航空団のC-5A/69-0025。朝逆光気味の光の中、東の空へ離陸して行った。この69-0025機にもメンフィス・ベルのノーズアートが入っていた時代があるが、この時には残念ながら何も書かれていなかった。因みにメンフィス・ベルは、B-17Fの機長ロバート・モーガン大尉の彼女だったマーガレット・ポーク女史の出身地から機体に付けられた愛称。ノーズアートの女性はマーガレット・ポークではなく、カレンダーのマスコットガールであったペティガールスから模倣したデザイン。

2013年10月2日 嘉手納
2009年3月12日 嘉手納
Wings

尾翼には赤い帯に地元メンフィス市の文字が記入されている。第二次大戦中の有名なB-17F爆撃機(戦争映画でも有名な)”メフィス・ベル”の故郷である。この輸送航空団とB-17の当時の部隊は何ら関係性はないが、B-17メンフィス・ベル号の女性の絵柄が、C-5Aにも左右色違いの衣装で書かれて話題になった。確か横田基地にも飛来しているはずである。